ここだけの話
缶ビールをご用意される場合よく凍らせて持って行かれる方がいますが
マイナス5度前後で破裂します
アルコール度数にマイナスをつけた温度まで凍りません
例えばワイン-10度 ウイスキー-40度 焼酎-25度 よく裏面のアルコール度数をお確かめ下さい
ワインを持って行かれる方はコルク抜きをお忘れ無く また赤白問わず冷蔵庫で一晩冷やし
保温バックなどに入れて持って行かれることをお薦めします
特に和食の味付けの基本になる五つの調味料
先日 お客様と話していて 「さしすせそ」の「せ」と「そ」が出てきませんでした
「さ」砂糖 「し」塩 「す」酢 「せ」醤油 「そ」味噌
甘みはなかなか浸透しないので砂糖は早めに 塩は浸透圧が高く食材から水分を出すので
煮汁の味を決める初期に入れる 酢は早く入れすぎると酸味がとんでしまう
醤油・味噌・ソースは風味を楽しむものなので仕上がりに
調理酒やみりんを使う場合は砂糖よりも先に使ってください
浪速割烹と命名した第一人者
江戸時代に茶屋で飲食を楽しみとして会食し始めたのは俳諧席であった
それが発展して料亭ができる 大阪の「浮瀬」1704年が一番古い
「京の持ち味 浪速の喰い味」の格言どおり京都の公家や武家は
頭を使う職業なので素材に少し味を付けた物がはやり
大阪の味は労働者が多いので素材がほんらいもっている特有の味を
生かしながらも 更に奥行きのある深味を付けるようになった
また大阪は最も早く料理に昆布を使った合わせ出汁を取り入れたとされる
日本の食を分類すると 間食(おやつ) 店屋物 粉もんの軽食
家庭料理は常食 弁当は常食の代わり 当座を弁ずる 携行食
飯屋 飯(主食)をはじめ 食主飲従を商う店
そば・うどん屋は言葉の通り麺料理を商う店
鮨屋 大阪では大阪鮨(箱ずし・巻きずし・いなりなど)の持ち帰りが主であった
居酒屋 酒の品揃えに力を入れ試飲をさせる立ち飲み屋に始まる
割烹店 割烹とは調理の意 飲食の面から食を主に楽しませる店
料亭 料る(はかる)即ち割烹店とも言えるが 名の起こりは料理茶屋にある
料理茶屋は仕出し料理屋からとり商いをしてたが 料理人を置き
経む者が出現した
宴会料理も大阪が作ったと言える
懐石は一服のお茶を楽しむための腹ごしらい 本来は軽い物でなければならない
私には非常に興味深い話だったので書き留めました
天満天神えびす祭 御神酒笑姿(おみきえみす)
江戸時代に大阪天満宮では毎年正月・五月・九月の十日に
蛭児尊遷殿神事が斉行され十日えびすの参拝で賑わいました
寬政期(1789~1801)には 御神酒をお供えすると
御顔が真っ赤に染まる「御神酒笑姿」という御神像が評判を呼んで
参詣人で境内があふれ 戎社のあった西門は今も
「戎門」として残されています
現在 戎社は境内西北に移転されています
8日 堂島北新地えびす詣招福行列
13:30 北新地を出発 14:30 大阪天満宮 宮入
18:30 北新地本通り 大川ビル本館前にて福笹授与
9日 宵えびす 10日 本えびす 11日 残り福
各日10:00~21:00迄 招福振る舞い酒 18:00
元バレーボール全日本のウイングスパイカー
現在はVプレミアリーグのサントリーサンバーズのヘッドコーチの講演より
福井県出身 中学生の時は身長192cm 野球部の4番エース
恩師に推薦され 高校でバレーボールを始める
ジャンプ力に欠けていた荻野氏は3年間毎日ジャンプ100回飛び続ける
ジャンプ力も上がり注目され 1988年 サントリーに入社
社会では技術がついていけなくて馬鹿にされながらも
次第に堅実なレシーブとトスも上げられる器用なウイングスパイカーとして
経験5年でバレーボール全日本男子に抜擢され 1989年代表デビュー
1992年 バルセロナオリンピックに出場
Vプレミアリーグでは 7回の優勝に貢献する
28歳の時 試練が待っていた 両膝の手術 1%の可能性にかけた
植田辰哉監督の下 4大会振りのオリンピックをキャプテンとして出場
2009年11月引退表明
荻野氏が学び実践したことは 痛みの分かる人を目指したこと
人間としても プレーヤーとしても 常に感謝の思いで接するこつ
キャプテン時代には 自分の姿を見せて チームを牽引してきたこと
ヘッドコーチを務める荻野氏は トップを目指す組織を作り上げるには
しっかりとコミュニケーションを取ることが大事だと話を結んだ
東京オリンピックに向け 今年の8月から1年間ブラジルへ渡り
指導者としての勉強をされるそうです ご活躍を祈ります